結局、人生はアウトプットで決まる 伝説のプログラマーのアウトプット指南本
Windows95の開発に携わった日本人プログラマーというと、真っ先に名前が上がってくるのが中島聡氏ではないでしょうか。
中島氏はWindows95を開発したことで有名になった・・・のではありません。中島氏が有名になったきっかけはブログでした。ブログに書いたある記事がバズり、そこに自分がWindows95の開発に携わっていたことを書いておられたのです。
ブログのある記事がバズったことで、中島氏は結果的にWindows95の開発者として知られるようになったのです。
中島氏は今でもブログを運営されています。今回はブログも含めて氏の書籍を紹介します。
- 日本語とオブジェクト指向
- 日本語は名詞+動詞、英語は動詞+名詞
- アウトプットが最強の武器になる
- 中田敦彦のYouTube大学とユーチューバー草彅チャンネル
- インプットとアウトプットを繰り返して作られているYouTube大学
- まとめ ー インプットとアウトプットを繰り返す
日本語とオブジェクト指向
まずは中島氏のブログを紹介します。中でもお薦めが、下記のオブジェクト指向について書かれた記事です。
Life is beautiful: 日本語とオブジェクト指向
この記事がおもしろい!
バズるのも当然という感じがします。
私自身はデザイナーなので、オブジェクト指向プログラミングというのがよく理解できていません。それでもこの記事を読むだけで何となく理解できた気がします。
- りんご
というオブジェクトに対して、対応する行動は限られています。
- 食べる
- 剥く
- 切る
くらいでしょうか。他に「煮る」とか「料理する」とかも使えそうですが、どちらかといえば少数派になるでしょう。
今度は逆に「食べる」を前に持ってきて考えます。
- りんご
- ごはん
- カレー
- さんま
- 焼き肉
- ランチ
- クレープ
- えびグラタン
- ビーフシチュー
上に上げたのはごく一部で、書ききれないくらいくらい挙げることができます。「食べる」ことのできる対象物(オブジェクト)は無数にあるからです。
日本語は名詞+動詞、英語は動詞+名詞
中島氏はブログでこう言及しています。
英語は動詞+名詞という文章構造を持っているのに対して、日本語は名刺+動詞になっている。日本語は元々オブジェクト指向なのではないか。
確かに英語を学んだ人であれば、誰もが英語がVerb-Object(V-O)という構造になっていることを知っています。
- I have a pen.
- 私は鉛筆を持っている。
英語は先に動詞が来るのに対して、日本語は後ろに来ています。これはシチュエーションを想定して考えて見ると、更によく分かります。
食事をしているときに、
醤油差しを・・・
ああ、醤油差しを取って欲しいんだな
とすぐ分かります。ところがこれを逆にしてみるとどうでしょう。
・・・を取ってもらえませんか?
え、なんだろう? コップ?、フォーク?、胡椒?、水?
と対象物はいくつも出てきますよね。
本格的なオブジェクト指向プログラミングの解説ではないのかもしれませんが、私のような初心者には非常に分かりやすい記事でした。
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アウトプットが最強の武器になる
書籍ではアウトプットを推奨しています。もっとストレートに言えば、書くことを推奨している、と言ってもよいでしょう。
第2章がそのものズバリのタイトルで、「すべては「書く」ことから始まる」となっています。
中島氏は文章を書くにあたって、様々なアドバイスをこの本に盛り込んでいます。中でも印象的なものを2つ紹介します。
名文ではなく明文を書く
名文を書く必要はありません。英雄が歴史の名場面で吐くようなセリフを書く必要はないのです。明文でさえあれば良いのです。
明文とは分かりやすい文章、という意味ですね。論理的に筋道が通っている文章と言ってもいいでしょう。
調べて書く
自分の知らないことを書いてもかまいません。ただ調べることは必要です。中島氏もすべて自分の専門分野のことをブログに書いている訳ではありません。
興味のあることをネタにし、それをネットや書籍で調べて文章にしています。調べて書く、という行為が、自分の知識を向上させることに役立っているのです。
中田敦彦のYouTube大学とユーチューバー草彅チャンネル
本の後半で中島氏はYouTubeについても触れています。
書くことだけではなく、話すことももちろんアウトプットになるので、YouTubeもそのメディアの一つということになるのでしょう。
最近、私がよく見ているのは中田敦彦のYouTube大学です。
ジャンルは様々なのですが、私の好きな歴史ネタも多いので、よく視聴しています(^^)
この中田敦彦のYouTube大学なのですが、チャンネル登録数は非公開になっています。ただ今年の9月には100万人を突破したそうなので、今ではかなりの数になっているでしょう。
対象的なのが元SMAPの草彅剛が運営するユーチューバー草彅チャンネルです。チャンネル登録者数は95万人(2019年12月現在)で、100万人に届いていません。
これでもすごい数ではあるのですが、元SMAPという肩書きを考えると、少しさびしい気もします。
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インプットとアウトプットを繰り返して作られているYouTube大学
中田敦彦のYouTube大学は、2日で1本のペースで動画をアップしています。毎日動画をアップしているユーチューバーもおられるので、少ないように感じるかもしれません。
中田敦彦氏は動画をアップしない日は、ひたすら関連する書籍の読書をしているそうです。
ユーチューブの題材にする本を読む
↓
ユーチューブに動画をアップする
というインプットとアウトプットを高速で繰り返しているのです。
まとめ ー インプットとアウトプットを繰り返す
アウトプットするメディアは何でも良いと思います。ブログでもユーチューブでも。
重要なのはインプットとアウトプットを繰り返すことです。ブログであれば、調べることがインプットで、それをブログの記事にすることがアウトプットです。
調べる方法は別に本とは限りません。ネットでググることでも良いと思います。数十回ググって、信頼性の高いWebサイトで学び、それでまとめた記事を書くことも立派なインプットとアウトプットだと思います。
中田敦彦のYouTube大学も良い例ですね。大いに参考にしたいと思います。
大阪駅一番ホームの謎。大阪人がJR大阪駅一番ホームについて解説
JR大阪駅の一番ホームは、大阪の人間以外には分かりづらいようです。何が分かりづらいのかというと、一番ホームからでる電車の行き先です。
大阪駅一番ホームは環状線の起点といってもいいプラットホームなのですが、行き先は環状線内だけではありません。ここから出発する電車は行き先が複数あるのです。
慣れている大阪人にとっては特に何とも思わないのですが、他府県の方のために簡単に解説してみます。
- まずはちょっとした笑い話
- 大阪駅一番ホームからの行き先は5種類
- 大阪駅一番ホームの電光掲示板
- ホームの並ぶ位置にも注意
- 一番ホームから阪和線を利用するときの注意
- 大阪駅一番ホームへの行き方
- まとめ ー 大阪駅一番ホームからは行き先の違う電車が5種類
まずはちょっとした笑い話
まずは大阪駅一番ホームに関するちょっとした笑い話を書きます。
海外旅行に行くので関西空港に行きたいのですが
環状線の一番ホームです。
和歌山にいきたいのですが、何番ホームでしょう?
環状線の一番ホームです。
環状線の内回りに乗りたいのですが、場所はどこですか?
環状線の一番ホームです。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに遊びに行きたいです!
環状線の一番ホームです。
奈良公園に行って鹿と遊びたい!
環状線の一番ホームです。
この回答に間違いはありません。大阪人なら、ああそうそう。そうなるわー、と納得していただけるでしょう。ただ他府県の方には、笑い話かと思うくらい分かりづらいようです。
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大阪駅一番ホームからの行き先は5種類
大阪駅の一番ホームから出る電車の行き先は5種類あります。下記に表にしてみました。
線区名 | 方面 |
関西空港線 | 鳳・関西空港方面 |
阪和線 | 鳳・和歌山方面 |
大阪環状線(内回り) | 西九条・弁天町方面 |
ゆめ咲線 | ユニバーサルシティ方面 |
大和路線 | 王寺・奈良方面 |
実に5種類の行き先があります。このすべての電車が大阪駅の一番ホームから出発するのです。
私自身は大阪人なので、今までは特に不思議に思わなかったのですが、こうして書き出してみると、たしかに分かりづらいかもしれませんね。
大阪駅一番ホームの電光掲示板
実際の大阪駅一番ホームの電光掲示板を紹介します。
仕事帰りに大阪駅で撮影してきました。複数の行き先が掲載されているのが分かると思います。
上の表と照らし合わせて解説すると、この電光掲示板の行き先は下記のようになります。
掲示板の表示(種別) | 線区名 | 方面 |
関空/紀州路快速 | 阪和線・関西空港線 | 鳳・和歌山方面 |
大和路快速 | 大和路線 | 王寺・奈良方面 |
普通 | 大阪環状線(内回り) | 西九条・弁天町方面 |
普通 | ゆめ先線 | ユニバーサルシティ方面 |
関空/紀州路快速 | 阪和線・関西空港線 | 鳳・和歌山方面 |
だいたいいつも4-5種類の行き先が掲示されています。これらがすべて一番ホームから発車するのです。たしかに分かりづらいかもしれませんねー。
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ホームの並ぶ位置にも注意
大阪駅一番ホームには駅のホームにも案内が書かれています。各路線によって並ぶ位置が異なるので注意が必要です。
赤 | 青(飛行機のマーク) | 緑(鹿のマーク) |
大阪環状線(内回り) | 阪和線(和歌山行き) | 大和路線 |
ゆめ咲線 | 関西空港線(関空行き) |
赤は環状線かゆめ咲線、青は和歌山、緑は奈良ですね。
緑色の奈良行きには奈良公園をイメージした鹿のマークが、和歌山行きには関西空港の飛行機マークが記載されています。こういうのって分かりやすくて良いですよね(^^)
一番ホームから阪和線を利用するときの注意
飛行機マークといっても、実際の和歌山方面行きは、すべての電車が関空に行くわけではありません。関空行きと和歌山方面行きがあるので注意が必要です。
- 阪和線からそのまま和歌山方面
- 阪和線から関西空港線経由で関西国際空港方面
さらにややこしいのは、一つの電車で和歌山行きと関空行きがあることです。列車を切り離して行き先が分かれるのです。
私も何度か利用したことがあるのですが、行き先が分かれる電車に乗っていると社内アナウンスが必ずあります。どの車両が和歌山行きなのか関空行きなのか、社内アナウンスを聞き逃さないようにしましょう。
関西空港線は正確にいうと、日根野駅から関西空港駅までの短い路線です。日根野駅よりも手前にある駅(堺市や三国ヶ丘、和泉府中など)に行く場合は、関空行きと和歌山行きのどちらに乗っても大丈夫です。
大阪駅一番ホームへの行き方
ここまでは一番ホームから出る電車の行き先の話でしたが、ついでに大阪駅の一番ホームまでの行き方についても解説しておきます。大阪駅を利用するときの参考にしていただければ幸いです。
大阪駅の中央口です。大阪駅には私が知っているだけでも5-6箇所の入り口がありますが、この中央口は1階にある一番大きな入口だと思います。
中央口から入ると一番ホームは左手にあります。あちこちに案内板があるので迷うことはないでしょう。
一番ホーム(環状線の1・2番ホーム)へ向かうエスカレーターです。ここを通るたびに、これだけの高さのためにエスカレーターはいらんやろー、と思いつつもいつも利用していますw
一番ホーム(環状線の1・2番ホーム)へと上がるエスカレーターです。ちなみに大阪では急ぐ人のためにエスカレーターの左側を空けます。
エスカレーターの隣には階段もあります。一番ホームへと続く階段は、混雑を緩和するために降車専用(くだり専用)の階段もあるので注意が必要です。
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まとめ ー 大阪駅一番ホームからは行き先の違う電車が5種類
東京の山の手線のように、大阪市内をぐるっと回っているJRの大動脈が大阪環状線です。
JR大阪駅の大阪環状線は一番ホームと二番ホームを利用します。
- 一番ホーム 大阪環状線 内回り(西九条・弁天町方面)
- 二番ホーム 大阪環状線 外回り(京橋・鶴橋訪問)
そして二番ホームからは京橋・鶴橋方面の電車しか出ていません。ところが一番ホームからは行き先の違う5種類の電車が出ているのです。
- 大阪環状線 内回り(西九条・弁天町方面)
- ゆめ咲線(ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど)
- 大和路線(奈良方面)
- 阪和線(和歌山方面)
- 関西空港線(関西空港方面)
大阪環状線の大阪駅の反対側にあるターミナル駅が天王寺駅ですが、もし大阪駅から環状線を利用して天王寺駅に行くなら、二番ホームから外回りに乗ると良いでしょう。二番ホームからは外回りしか出ていないので、迷うことはありません。
他府県出身などで、大阪駅一番ホームを始めて利用される方は、電光掲示板や駅のホームに書かれているラインに注意しつつ利用すると良いでしょう。
※注
各電車の行き先は2019年10月に調査したもので、JRのダイヤ変更などで変わる可能性があります。利用される際は、JRの公式サイトなどで事前にご確認くださいませ。
付知峡に行ってきました。滝や吊橋、遊歩道、駐車場のレポート
付知峡に行ってきました。付知峡は岐阜県中津川市にある景勝地です。周辺をめぐる遊歩道が整備されていて、滝や渓流を楽しみながら、のんびりと散策することができます。
私が訪問したのは8月の夏真っ盛りなのですが、秋には紅葉を楽しみながら散策できるようです(^^)
付知峡の水は驚くほど綺麗でした(^^)。写真でも十分に綺麗なのですが、実物はそれ以上でした。
付知峡の周辺は、遊歩道が吊橋や滝をめぐるように整備されていて、森林浴を楽しむには絶好のスポットです。
- 付知峡への行き方
- 付知峡の駐車場は十分な広さ
- 付知峡の入り口から休憩所まで
- 付知峡の不動滝と観音滝
- 遊歩道の2つの吊橋
- 仙樽の橋から終点の広場まで
- 広場の様子と帰り道
- まとめ ー 付知峡は森林浴&散策の絶好のスポット
付知峡への行き方
付知峡は前述したように岐阜県中津川市にあります。
最寄りのインターは中央自動車道の恵那インターか中津川インターです。距離的にはそれほどどちらも変わらないので、名古屋方面からは恵那インター、東京方面からは中津川インターを利用すると良いでしょう。
恵那インターからだと国道257号線を北上して約50分くらいです。以前に紹介したストーンミュージアム博石館は恵那インターから付知峡への道中にあります。
付知峡自体は国道から外れた山奥にありますが、道は片側一車線ある道路で、走りやすい道路です。
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付知峡の駐車場は十分な広さ
付知峡の駐車場は十分な広さがありました。訪問したのは夏休みの真っ最中でしたが、駐車場が満車で止められないということはないようでした。
当日はバイクで訪問されている方も7-8人おられました。ツーリングの立ち寄り地に良い場所だと思います。
駐車場の一角にはお店があります。各種お土産の販売だけではなく、食事や入浴、宿泊も可能です。お昼に流しそうめんを楽しんでおられるお客さんもおられました。
このお店で付知峡周辺の遊歩道の地図を無料で受け取ることができます。地図があると遊歩道散策の手助けになるので、必ず受け取っておきましょう。
付知峡の入り口から休憩所まで
付知峡の遊歩道の入り口はお店に向かって左側にあります。お店の前には、水でトマトやきゅうりの野菜を冷やしていて、すごく美味しそうでした(^^)。
散策路の入り口から見下ろした一枚です。足元は整備されているので、歩くのに苦労することはありません。私達家族が訪問した日に、ちょうど小学生の遠足らしき一行も訪ねてきていました。
小学生でも散策できる程度の難度、と言っても良さそうです。
最初の看板に不動滝への道筋が書かれています。この分岐で必ず不動滝の方面に進みましょう。
遊歩道は滝や吊橋を散策するルートと、滝見所への直線ルートがあります。この道をまっすぐ行くと終点の広場へと到着します。ただ付知峡遊歩道の醍醐味は滝や吊橋にあるので、この道をまっすぐ進んでしまうと、非常に味気ない遊歩道散策になってしまいます。
付知峡の遊歩道は整備されていますが、全て舗装されている訳ではありません。靴は歩きやすいスニーカーを用意した方が良いでしょう。
遊歩道には休憩所も用意されています。お弁当を用意して休憩所で食べるのも良さそうです。
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付知峡の不動滝と観音滝
休憩所の横を更に下ると、不動滝と仙樽の滝への分岐点です。ここでも必ず右の不動滝に進みましょう。不動滝はここから数分なので、見逃してしまうと非常にもったいないです。
遊歩道は道中に苔むした橋などがあって、雰囲気満点です(^^)
付知峡の観音滝です。滝はもちろん綺麗なのですが、それ以上に美しく感じるのが滝壺です。この記事のアイキャッチにしている画像ですね。瑠璃色と言っていいくらい水が綺麗です。
突き当りに滝見所があり、不動明王が祀られています。屋根付きの休憩所もあるので、ここで一服するのも良いと思います。
不動滝です。こららは観音滝と比べて落差はないのですが、本流がそのまま滝として滑り落ちているので水量がありますね。
遊歩道の2つの吊橋
分岐点まで戻って今度は仙樽の滝方面へと進みます。看板の文字は「樽」ではなく「木へんに尊」なのですが、この文字は機種依存文字のようですので、この記事では「樽」という表記で進めます。
不動橋です。雰囲気満点の吊橋で、結構揺れます。とはいえ距離的にはそれほど長くはないので、子どもでも怖がることはないと思います。ウチの子は小学生なのですが、橋の真ん中でポーズを取ったりしながら渡っていました(^^)
道中からちらちら付知川が見えるのですが、非常に綺麗です。瑠璃色というよりはアクアブルーですね。
ちょっと分かりにくいのですが、画像の中央にあるのが仙樽の橋です。こちらは不動橋よりも高さも長さもあります。
橋の下には渓流が流れていてとても綺麗なのですが、高さも長さもあるので、高所恐怖症の人は要注意です。
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仙樽の橋から終点の広場まで
仙樽の橋を渡って突き当りの広場を目指します。
遊歩道は概ね整備されていて歩きやすいのですが、中にはこういう難所もあるので、サンダルなどで行くのは止めておきましょう。
整備された石道まで戻ってきました。ここで左に行くと出発点に戻ることができます。右に行くと遊歩道の終点である広場まで行くことができます。
終点を目指して石道を右へと進みます。
途中に橋なども渡りつつ・・・
石道をずんずんと東へ進みます。
開けた場所に到着しました。どうやらここが終着点のようです。
広場の様子と帰り道
終点の開けた場所では、川遊びをしたり写真を取ったりと、観光客が思い思いに過ごしていました。
川遊びといっても泳ぐとかではなく、足を川の水につけたり、水を触ったりしている人が大半でした。ちなみに川の水はびっくりするくらい冷たいので、足をつけるだけでも覚悟が必要です。
水の量は豊富で綺麗です。離れて見るとアクアブルーなのですが、近づくと無色透明です。
帰りは寄り道をせずに石道をまっすぐに進みました。最初の分岐点を滝方面に進まず、石道沿いに進めば広場に到着することができます。
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まとめ ー 付知峡は森林浴&散策の絶好のスポット
付知峡周辺は遊歩道が整備されており、絶好の散策スポットといっていいでしょう。注意しないと行けない点は、石道をまっすぐ進んでしまうと不動橋や仙樽の橋に行くことができない点です。
入り口まで戻ってきたときに、あるカップルが「橋とか滝とかあると聞いてたのになかったね」と落胆しながら話していました。今考えると石道を往復しちゃったのだと思います。教えてあげれば良かったな・・・。
駐車場には地図も用意されているので、お店で地図を入手できなかった場合は、この地図をスマホで撮影してから行くと良いでしょう。
以上、付知峡レポートでした!(^^)
東京ゲームショウ2019 ビジネスデイのフォトレポート
東京ゲームショウに行ってきました。訪問したのは2019年9月13日です。ビジネスデイの2日目ですね。
もちろん東京ゲームショウに出展しているわけではありません。知り合いのゲーム会社からチケットをいただいたので、挨拶回りと仕事の打ち合わせと新作ゲームの見学を兼ねて行ってきました。
ゲームショウの会場である幕張メッセに入ると、ああ、東京ゲームショウに来たなあ、といつも実感します。大阪在住ということもあり、毎年行っている訳ではないので、会場に入った瞬間が感慨深いです。
- 東京ゲームショウへの道
- 東京ゲームショウの事前登録と受付
- スクウェア・エニックス&コナミ
- バンナムナムコ&カプコン&タイトー
- ビジネスミーティングエリア
- 物販、インディーゲーム、AR/VRコーナー
- 一般デーでのみ公開されるイベントも
- まとめ ー 東京ゲームショウ ビジネスデイレポート
東京ゲームショウへの道
東京ゲームショウは幕張メッセで開催されています。幕張メッセの住所を調べてみたら、東京都ではなく千葉県なのですね。
最寄りの駅はJR京葉線の海浜幕張駅です。東京駅から40分弱くらいかな。
地図を見ると意外に海が近いようです。会場周辺をウロウロしているときは、海はまったく見えないので、そういう感じはしないのですが。
海浜幕張駅の改札を出てすぐの案内板に、幕張メッセ方面、と書かれています。幕張メッセは海浜幕張駅から少し離れているのですが、ところどころに案内があるので、まず迷うことはありません。
海浜幕張駅の改札を出て、幕張メッセへと向かいます。今回は午後から訪問したこともあって、帰る人もちらほらおられました。
幕張メッセへと向かう高架です。幕張メッセまではほぼ高架の歩道で行くことができます。
ビジネスデイで2日目の午後ということもあって、人は少なめでした。一般公開だと行列ができるのですが。
このときばかりはビジネスデイに訪問できることに感謝、ですね。
東京ゲームショウの会場である幕張メッセです。
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東京ゲームショウの事前登録と受付
ビジネスデイへの参加は事前登録しておくのが基本です。登録するとメールが送られてくるので、それをプリントアウトして受付に渡してチケットを受け取ります。
チケットを忘れた場合でも、チケットのQRコードが分かれば、受付でプリントアウトしてくれます。
私はチケットを持っていくのを忘れていたので、受付でQRコードを見せてプリントしていただきました(^^;
東京ゲームショウのビジネスデイに参加される人は、必ず事前登録しておきましょう。事前登録のメリットは2つあります。
- ビジネスマッチングが利用できる
- 受付で待たずにすむ
上の写真は当日受付をされておられる方の行列です。午後でもこれだけの待っている人がいるので、午前中はもっと人が多かったと思います。
事前登録しておくとすんなりと入れるので、ビジネスデイで参加される場合は必ず事前登録しておきましょう。
スクウェア・エニックス&コナミ
会場入りして真っ先に目を引いたのは、スクウェア・エニックスさんの前にあった巨大なガラガラでした。目測ですが、5-6mくらいはあったのではないでしょうか。ガラガラで当たると何かもらえるようで、すごい行列ができていました。
FINAL FANTASY VII REMAKE(ファイナルファンタジー7リメイク)のブースには、人だかりができていました。FF7がプレイステーションで発売されたのは1997年なので、もう20年以上も前になります。感慨深いなあ。
ブースの上には巨大なモーグリがありました。昔はFFというとチョコボだったのですが、今はモーグリなのかな?
コナミさんも巨大ブースを構えていました。パワフルプロ野球、ウイニングイレブンという有名スポーツゲームタイトルを抱えているだけに、スポーツ押しですかね。
コナミのステージ上には、元プロ野球選手の岩本投手が登壇されていました。そういえばコナミのCMに出てたかな。
コナミの魂斗羅のコンパニオンさんです。ビジネスデイなので、プレスの方が多くおられるのですが、その写真撮影でポーズを取ってました。
私はその斜め前からスマホでこっそり撮影(^^;
いやー、スタイルいいなー(おじさんモードw)
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バンナムナムコ&カプコン&タイトー
バンダイナムコさんのブースで目を引いたのが、この2体のガンダムです。人と同じくらいのサイズがあったかな。
カプコンさんのブースです。ロックマンは息の長いタイトルですね。昔からあるタイトルを大事にする姿勢には好感が持てますね。
来年発売予定のロックマンコレクションはブースの色合いが綺麗でした。カプコンのブースではモンスターハンターも展示されていて、コンパニオンさんがビニール製のカバンを配っていました。
受け取ると荷物になるなあ、と思いつつも、コンパニオンさんがにこやかに手渡してくれるので、ついつい受け取ってしまいます(おじさんモードその2w)
タイトーさんのブースでは、クリエイターがインタビューを受けていました。タイトーって、実は日本最初のビデオゲームをリリースしたメーカーです(セガという説もあり)。
ビジネスミーティングエリア
ゲーム関係者が東京ゲームショウを訪れる目的は様々です。
- 新作ゲームや技術のチェック
- ビジネスマッチングの利用
- 関係者への挨拶回り
私の場合も会場で打ち合わせの予定があったので、ビジネスミーティングエリアに足を運びました。
ビジネスミーティングエリアは展示場から少し離れた国際会議場に設置されています。参加されている企業はガイドとかにも掲載されているので、モザイクをかける必要はないのかもしれませんが、匿名ブログなので一応モザイクを(^^;
ビジネスミーティングエリアに出展しているゲーム会社は、展示場には足を運ばずに、ずっと打ち合わせをしていたりします。東京ゲームショウというと、新作ゲームを体験できる場所、というイメージが強いと思いますが、開発者にとってはビジネスチャンスでもあるのです。
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物販、インディーゲーム、AR/VRコーナー
物販やインディゲームがある国際展示場9-11は、少し離れています。一度、建物の外に出て高架の歩道を移動します。国際会議場9-11に入る時も入館者チェックがあります。昔はこの辺はゆるかったような気がするのですが、最近はきびしくなっていますね。
国際展示場の9-11ホールに入ると最初にVR/ARコーナーがありました。数年前はVRコーナーなんてなかったのですが、年々大きくなっているような気がします。
画像の右にあるのはVRカレシというタイトルで、女性が列を作っていました。男性も女性も美形が好きなのは、人間の本能なのでしょうね。
カプコンさんの物販コーナーです。東京ゲームショウに出展する企業の目的は様々ですが、物販部門の目的は一般公開日でしょうね。
小島プロダクションも物販コーナーにブースがありました。まだゲームが発売されていないのに、グッズを買う人がかなりいたようなので、根強い人気があるのでしょうね。新作が楽しみです^^
インディゲームも賑わっていました。ビジネスデーは空いていて基本的に人とぶつかりそうになることはないのですが、インディゲームコーナーは違いました。インディゲームは年々、盛り上がりが大きくなっているような気がします。
一般デーでのみ公開されるイベントも
東京ゲームショウにはいつもビジネスデイに行くのですが、ちょっと寂しく感じることもあります。
というのも一般公開日のみでしか開催されていないイベントもあるのです。
イベントホール会場は一般公開日でしかイベントが行われません。会場には入れたのですが、当然のことながら準備中でした。
国際展示場9-11ホールにあるeスポーツイベント会場も、何も行われていませんでした。これも一般公開でイベントがあるのでしょうね。
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まとめ ー 東京ゲームショウ ビジネスデイレポート
以上、東京ゲームショウのレポートでした。
ゲーム開発者でも東京ゲームショウに訪問する目的は様々です。ある知り合いは丸一日ゲームスクールコーナーに居たと言っていました。採用担当者になったので、ゲームスクールの就職担当の先生にずっと挨拶まわりをしていたそうです。
私の場合、展示場を回る目的は、知り合いが居ないかどうかのチェックだったりします。ゲーム業界に長く居ると、様々な会社に知り合いが居たりします。知り合いを探す理由は、あわよくばそこから仕事を受託もちろん旧交を温めるためです!
来年もまた東京ゲームショウに行けるといいなーと思いつつ、この辺で。
ストーンミュージアム博石館に行ってきました。子供が大喜びするテーマパーク
夏休みに岐阜県中津川市にあるストーンミュージアム博石館に行ってきました。
実は当初からここを目的に行った訳ではなく、当日の天気が良くなかったので、急遽立ち寄ったのですが、期待を良い意味で裏切る素晴らしい施設でした。
ストーンミュージアム博石館はその名の通り、石をメインにしたテーマパークです。
真面目な展示もあるのですが、宝石探しや迷路などがあり、子供連れにお勧めのスポットです。
- 博石館の場所は岐阜県中津川市
- 博石館の駐車場は十分な広さ
- 体験施設、ピラミッド、展示館に広場も
- 子どものテンションが上がる体験施設
- ピラミッドの中は本格的な迷路
- 博石館の人気ナンバーワンは宝石探し
- 森の中には恐竜の○○○の化石も
- まとめ ー 子供連れに楽しいストーンミュージアム
博石館の場所は岐阜県中津川市
ストーンミュージアム博石館は岐阜県中津川市にあります。
最寄りのインターは中央自動車道の恵那インターです。名古屋からだと一時間ちょっとくらいですね。
岐阜県の県道72号線沿いにあります。近くに恵那峡などの名所や恵那峡ワンダーランドという遊園地もあるので、博石館も含めてこの辺りで一日遊んでも楽しそうです。
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博石館の駐車場は十分な広さ
県道72号線沿いを走っていると、案内の石柱が立っているのですぐに分かります。カーナビを利用している場合は、公式サイトにある電話番号か住所を入力するのが良いようです。
※カーナビゲーションをご使用の場合は、電話番号「0573-45-2110」、住所「岐阜県中津川市蛭川5263-7」等を入力してみてください。
(公式サイトより引用)
博石館は駐車場が3つあるようでした。こちらは2つ目の駐車場で、入り口からは南側にあります。入り口からは少し離れているのですが、入り口近くの駐車場が混んでいるようであれば、こちらに停めると良いでしょう。歩いて2-3分くらいです。
博石館の入り口です。右側が県道72号で、こちらが入り口に近い駐車場です。
博石館の入場受付です。実際の施設は反対側にあるので、こちらから入場して歩道橋を渡ることになります。
博石館の入場料は大人800円、子ども500円(3歳以下無料)です。
※変更になる可能性がありますので、訪問前に公式サイトをご確認くださいませ。
体験施設、ピラミッド、展示館に広場も
歩道橋を渡って施設へと向かいます。右上に見えているのが、象徴的な施設のピラミッドですね。
歩道橋を降りて中庭に行くまでにある石柱です。場内には石でできた像がそこかしこに設置されています。
博石館の中庭です。右側と奥に煙突のある建物が石に関する展示館で、左の奥はピラミッドへと続く階段があります。
(出典 博石館公式サイト)
中庭を中心に南側が体験施設、東側がピラミッド、北側に森と展示施設があります。結婚式用のチャペルやお弁当を食べるためのスペースもあり、ピクニック気分で訪れても楽しめると思います。
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子どものテンションが上がる体験施設
中庭をまっすぐ進んで鉱山体験館に入りました。中に入ると通路がそれっぽい雰囲気を醸し出していて、ウチの子はこれだけでテンションが上っていました。
鉱山体験館のマップです。手作り感ありありですが、そこは気にしないでおきましょうw
鉱山体験館は建物の入り口付近に展示物があり、体験施設は奥にあります。受付も奥にあるので、展示物を見つつ、どんどん奥へと進みましょう。
鉱山体験館には以下の体験施設があります。
- 原石探し
- 化石探し
- 砂金探し
- 鍵探し
- ジオード割り
- トレジャーハンティング
- 原石釣り
料金はどれもワンコイン(500円)ですが、ジオード割りは石の大きさによって料金が変わります。
制限時間は10分間から15分間です。受付でお金を払い、時間が書かれたチケットをもらって、自分で時間を申告するシステムです。1-2分過ぎても大目に見てもらえるようですがが、時間はなるべく守るようにしましょう。
鉱山体験館の奥から撮影した一枚です。真ん中に見えるのが受付で、右側が原石探し、左側が砂金探しです。施設は手作り感はあるものの綺麗に掃除されており、清潔感がありました。
夏休みの訪問でしたが、空調機や大型扇風機があちらこちらに設置されていて、暑さを感じることはありませんでした。
ウチの子どもが一番ハマっていたのが、このトレジャーハンティングです。手前にある金属探知機で、砂利に埋められている金属製のプレートを探すというものです。
金属に近づけると探知機の音が鳴るのですが、これが楽しいようで、ずっと探知機を持ってウロウロとしていました(^-^)
ウチの子はめでたく金属プレートを2枚ゲットして、宝石の原石と交換してもらってました。その後にそっと様子をみていると、係員さんがプレートを埋め直しに来ていたので、どのタイミングで始めてもプレートが見つかるように配慮されているようです。
化石探しも人気がありました。ブログに掲載するためになるべく人の居ないタイミングを見計らって写真を撮影していたのですが、化石探しは人気があるようで、常に誰かが化石探しをしていました。
ウチの子は4つか5つほど化石を見つけていましたが、小学生高学年の子は1ダースくらい見つけていました。歯や植物の化石が多いのですが、たまに三葉虫らしきものも混じっているようです。
ピラミッドの中は本格的な迷路
鉱山体験館で遊んだあと、中庭まで戻ってピラミッドに向かいました。写真は中庭から入り口に向けて撮影したものです。手前に写っているのは無料の輪投げで、小さい子どもが交代で輪投げで遊んでいました^^
ピラミッドに突入します。このピラミッドは中が本格的な迷路になっています。料金は無料ですが、スタンプラリーに参加する場合は手数料が必要です。
中は薄暗いのですが、ところどころ電灯があるので真っ暗ではありません。ただ2-3歳くらいの子どもだと怖がって入らない子もいるでしょうね。狭い通路なので閉所恐怖症の方も避けた方が良いでしょう。
迷路はけっこう本格的で出るのに15分くらいかかりました。行き止まりも多く、行き止まりには石像が配置されていたりします。
それと普段は大丈夫だと思いますが、訪問した日が雨だったこともあり、通路の一部に水たまりがあるところがありました。薄暗い場所もあるので、足元には注意したほうが良さそうです。
ピラミッド迷路の出口には、記念の撮影場所がありました。ウチの子は迷路制覇でノリノリでポーズをとっていたので撮影したのですが、撮影後にブログ掲載のために無人のタイミングを見計らって、もう一枚撮影するのがブロガーのさだめw
ピラミッドの地図が宝石の探しの建物の裏に貼ってありました。この地図を見て入っても、確実に迷うと思います。実際に行き止まりに何度も突き当りました。まあ、それが楽しいのですが(^^)
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博石館の人気ナンバーワンは宝石探し
宝石探しのアトラクションもあります。博石館では一番人気だそうです。ブログ用に人の居ないタイミングを狙っていたのですが、人気があるだけあって、さすがに無人の時はありませんでした。
屋根があるので、雨の日でも楽しむことができます。水の中に手を入れるので、冬はどうするのだろう?、と思っていたら、室内に移動して別会場で行うようでした。
料金は800円で、制限時間は30分です。スタッフの方が定期的に砂利の整理をされているのですが、その際に宝石を周りの子どもにわからないように投げ入れてました。どのタイミングで始めても宝石を見つけられるような配慮があって良いですね。
森の中には恐竜の○○○の化石も
宝石探しの後は、北側にある森にやってきました。森の中には小さな建物がいくつかあって、中は展示場になっています。
森の中にあった建物の一つで、中には古いオルガンが展示されていました。実際に弾くことができるオルガンで、私達が訪れたときは、音楽を習っているらしき子が楽しいそうに演奏していました。
森の中にある池です。鯉のエサが売っていて、子どもが楽しそうにエサをあげていました。ウチの子もそうなのですが、子どもって動物にエサをあげるのが大好きですよねー。
ウチの子が一番食いついていたのが、この展示です。恐竜のうんちの化石ですね。
うんちの化石も撮影したのですが、ブログには載せないでおきます。ぜひ現地で見てみいただければと思います。ケースなどに入っておらず、建物の真ん中にどーんと置かれているので、自由に触ることができます。
私がペタペタとうんちの化石を触っていると、ウチの子が「パパ、それってうんちだよ。触って大丈夫?」と心配そうに言っていましたw
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まとめ ー 子供連れに楽しいストーンミュージアム
ストーンミュージアム博石館は子供連れに楽しい施設と言っていいでしょう。鉱山体験館や宝石探し、ピラミッド迷路など、様々な体験をすることができます。
子ども連れで訪問したので、どうしても子どもが遊ぶ施設を中心に紹介しましたが、石に関する真面目な展示場もあります。この裏には岩を砕くためのハンマーがあって、それで実際に岩を叩くこともできました。
第一駐車場にはレストランも併設されています。中では名物のピラミッドカレーが食べられるようでした。
地方のテーマパークだとがっかりする施設も多いのですが、博石館は体験イベントを中心に子どもが楽しめる施設でした。
ウチの子は博石館でゲットした化石と宝石を、今でも机に飾っています(^^)
三国志3玄戈の星 曹操と呂布の激闘と五斗米道の張衛
「北方三国志」の第3巻の主役は間違いなく呂布です。
私は小説・マンガも含め、色々な三国志を読んでいますが、呂布が一番かっこいいのはこの北方三国志で間違いありません。北方三国志の呂布を一言でいうなら軍人です。いや、武人かな。
もう一つ、北方三国志の特徴をあげると、五斗米道の張衛がよく登場することでしょうか。五斗米道というというと、多くの人が教祖の張魯を思い浮かべると思いますが、北方三国志でよく出てくるのは、張魯ではなく弟の張衛なのです。
(出典 Amazon)
三国志という物語そのものが列伝なので、劉備や曹操だけではなく、孫策や呂布、袁紹などの群雄に焦点が当たるのはわかるのですが、張衛がその一人として取り上げられているのは珍しいですね。
正直なところ、張魯ならともかく張衛は、北方三国志を読むまで存在を忘れていました(^^;
部下を信頼し、軍人として描かれる呂布
史実の呂布は、武力は優れていても狭量で疑い深い人物だったといわれています。部下に張遼、高順という優れた武将がいましたが、その言を用いず、自分の縁戚だった武将を優遇していました。
ところが北方三国志ではこの二将を重用します。そして文官の陳宮も信頼しています。呂布を味方に引き入れようと接触にきた劉備に対して、政治のことはすべて陳宮が考えることだ、という意味の返答をします。
北方三国志の呂布は、陳宮に全幅の信頼をおいているのです。三国志演義に出てくるような、陳宮の献策を取り上げず、自らを窮地に追い込んでしまう呂布は居ません。
自らは軍人であり、それ以外のことは考えない。そして騎馬を率いた戦闘においては無敵という呂布が北方三国志の呂布なのです。
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曹操と死闘の末の呂布の最期
袁術率いる15万の大軍を打ち破った呂布ですが、曹操との死闘に破れ、ついに下邳に籠城するはめになります。
その最期も印象的です。史実での呂布は曹操に投降し、自分を将軍として扱うように曹操に申し入れます。要は命乞いをするのです。飛将という異名のある呂布にふさわしくないシーンなのですが、北方三国志は違いました。
曹操の操る間諜によって、陳宮が捕縛され曹操軍に引き立てられようとします。呂布はその陳宮を取り返すべく出撃するのです。史実で陳宮を疎んじていた呂布はそこにはいません。
部下、というよりは友人を取り返すような勢いで出撃します。曹操軍は呂布を近接攻撃では倒すことができず、矢を大量に放つことで呂布を討ち取ります。
こういう呂布も良いなあ、と感じさせられるシーンです。
北方三国志の影のヒーロー?漢中の張衛
北方三国志で群雄の一人?として、ときどき登場するのが張衛です。張衛は漢中を支配した五斗米道の教主張魯の弟で、主に軍事面を担当しました。
魏、呉、蜀の三国だけではなく、呂布や袁紹、董卓、孟獲など、様々な群雄が登場するのが三国志です。でも、張衛が数多く登場する三国志は珍しいといっていいでしょう。
史実での張衛は曹操の漢中攻略の相手役として登場するくらいなのですが、北方三国志の張衛は、拠点としている漢中だけではなく、益州をも支配しようとする野心家として描かれています。
五斗米道という宗教にはそれほど興味はなく、教団の象徴は兄に任せて、自分は軍事面のみを担当します。鮮広という北方三国志のオリジナル?の人物を父かもと疑いながらも、教団を利用して領土を広げようと目論みます。
今後の張衛がどのように動くかも楽しみです^-^
まとめ ー 呂布が退場し、物語は袁紹と曹操の対決へ
3巻では曹操が呂布を破り、徐州を手に入れる一方、袁紹も公孫瓚を倒して河北を手に入れます。4巻で待っているのは官渡の戦いですかね。赤壁の戦いと並ぶ三国志の有名な戦いの一つです。
あらためて三国志を読んでいるのですが、この頃の劉備は本当に流浪の軍隊ですね。徐州を支配した思えば、すぐに呂布に奪われ、曹操と組んだかと思えば、袁紹の元に行くことになります。
まあ、劉備が諸葛亮と出会うのも46歳くらいのときだったと思うので(3巻の劉備は30過ぎくらい?)、まだまだ先を楽しみつつ読み進めることにします。
三日天下は本当は12日?間違って信じられている戦国時代の逸話10選
明智光秀の三日天下という言葉はよく知られています。その三日天下は、実際には3日間ではなく12日間でした。
他にも、長篠の戦いの織田信長による鉄砲の三段撃ちなど、史実ではなかったのに史実のように信じられている話はいくつかあります。
今回は史実のように考えられているけど、実際はそうではない戦国時代の逸話を集めてみました。
以前に日本史の伝説をまとめた記事を書いたのですが、今回はそれとはちょっと異なっています。
史実としては有名な話なのですが、(歴史オタク以外には)あまり真実が知られていない話になります。
- 明智光秀の三日天下は実際には12日間
- 長篠の戦いの鉄砲の三段撃ちは実際にはなかった
- 毛利元就は子どもに三本の矢を教えることはできなかった
- 上杉謙信は武田信玄に塩を送っていない
- 徳川家康は三方ヶ原の戦いに嫌々出陣した
- 秀吉は墨俣に城を作っていない
- 風林火山という言葉は現代の創作
- 北条早雲は一度も北条早雲と名乗ったことがない
- 筒井順慶は洞ヶ峠には行かなかった
- 斎藤道三は油を売っていない
- まとめ ー 史実ではなくても読みものとして楽しめる
明智光秀の三日天下は実際には12日間
(出典 Wikipedia)
明智光秀が主君である織田信長を討ち取ったのが本能寺の変です。1582年6月2日の出来事でした。
その明智光秀が豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)に破れたのが山崎の戦い(天王山の戦い)です。日付は1582年6月13日のことでした。
本能寺の変の6月2日から、山崎の戦いの6月13日までを数えると12日間になります。三日天下といっても、実際には3日間ではありませんでした。ただ短期間で終わってしまったために、三日天下ということわざが生まれました。
もし光秀が摂津方面に早く兵をを展開し、細川藤孝や筒井順慶などの与力が味方をし、秀吉の到着が遅れていたら、三日天下という言葉もなかったかもしれません。ただ、そこまで行くと別の話になるので、この辺で。
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長篠の戦いの鉄砲の三段撃ちは実際にはなかった
(出典 Wikipedia)
織田信長が戦国時代最強といわれた武田の騎馬軍団を破ったのが長篠の戦いです。このときに織田信長は三千丁を超える鉄砲を用意し、それを三段構えにして、絶え間なく射撃させることで勝利したといわれています。
ところが最近の研究では、この鉄砲の三段撃ちはなかったと考えられています。
一次資料として名高い「信長公記」には三段撃ちの記載は一切なく、5人の鉄砲奉行に指揮をさせたことのみが記載されています。三段撃ちの記載が表れるのは江戸時代になってからのことです。
織田軍の勝因は鉄砲の三段撃ちではなく、複数の要因がありました。
- 大量の鉄砲
- 野戦陣地の構築
- 戦力差(織田・徳川軍連合軍約3万に対して武田軍約1万5千)
一番の要因は戦力差でしょう。織田軍・徳川連合軍は武田軍の倍近い人数でした。
ただ織田軍が大量の鉄砲を戦場に持ち込んだのは史実なので、それが戦局に大きく影響したのは間違いないでしょうね。
毛利元就は子どもに三本の矢を教えることはできなかった
(出典 Wikipedia)
毛利元就の三本の矢の教えは有名です。
元就が病床で三人の息子を呼び、1本の矢は容易に折ることができるが、3本束ねると折ることはできない。だから3人力を合わせて毛利家を盛り立てていくように、というのが有名な三本の矢の教えです。
プロサッカーチームのサンフレッチェ広島の名前にもなっているこの三本の矢の教えですが、史実ではありませんでした。というのも、元就の長男である毛利隆元は、元就よりも8年も前に亡くなっているのです。
長男の隆元が8年も前に亡くなっているのに、元就が病床に子ども三人を読んで三本の矢の話を訓示する、というのは無理な話ですよね。
三本の矢の教えは、元就が子ども宛にしたためた手紙に、兄弟で協力するように書いたことからできた逸話だといわれています。
上杉謙信は武田信玄に塩を送っていない
(出典 Wikipedia)
敵に塩を送る、というのは、いかにも義将の上杉謙信らしい振る舞いですね。ところがこれも残念ながら、史実とは少し異なっています。
武田信玄が治めていた甲信地方は海に隣接しておらず、駿河か越後から塩を仕入れていました。仕入れていたと書きましたが、実際には商人から購入していたのです。
ところが今川家と手切れになり、駿河系の商人から塩が手に入らなくなってしまいました。上杉謙信は武田信玄と敵対していても、商人の行動を制限せず、塩の販売を止めたりすることはしませんでした。それが敵に塩を送る、という故事になりました。
史実では謙信は、敵に塩を送ったのではなく、商人が塩の販売をするのを黙認した、というのが正しいところでしょうか。
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徳川家康は三方ヶ原の戦いに嫌々出陣した
(出典 Wikipedia)
三方ヶ原の戦いは武田信玄と徳川家康が刃を交えた戦いでした。このときに家康は、浜松城を無視して西進しようとした信玄を、阻止するために出陣したといわれています。
大河ドラマなどを観ていると、家康は「目前を通過する信玄を見過ごすなどは武士の恥」といって勇ましく出陣します。そして三方ヶ原では、戦意の低い織田の援軍に足を引っ張られて結局敗北する、という展開が多いようです。
でも史実では少し異なっています。徳川家康は勇ましく出陣したりはしませんでした。援軍に来ていた織田軍に同調して、籠城しようと考えていたフシもあります。
ほとんどの戦記ものは「権現様」である徳川家康のことを悪く書くことができず、勇ましく出陣するという話を創作したのではないでしょうか。
実際の三方ヶ原の戦いは、数百の徳川軍の小部隊が、武田軍の物見のために出陣し、それを収容しようと出陣した家康が、武田信玄の挑発により引きずり出された、というのが真実のようです。
秀吉は墨俣に城を作っていない
(出典 Wikipedia)
豊臣秀吉の出世譚として有名なのが、墨俣一夜城です。
織田信長は美濃攻略に際し、橋頭堡として墨俣に城を築くことを思いつきました。佐久間信盛、柴田勝家などの有力家臣にそれを命じましたが、建築中に敵に襲撃されてことごとく失敗に終わりました。
墨俣に城を築くことを命じられた秀吉(当時は木下藤吉郎)は、築城に工夫をこらしました。現場で建築するのではなく、必要な材木をすべて事前に用意し、木曽川を利用して材木を流し、現場では組み立てるだけにしたのです。
そのため一夜(実際は数日間)で城を築き上げたのが墨俣一夜城です。
ところがこの墨俣一夜城は明確な資料はありません。一次資料として名高い信長公記には、秀吉の墨俣城に関する記載がなく「洲股要害の修築を命じ」とあります。とすれば、墨俣にすでには城か砦が築かれていたことになります。
江戸時代に書かれた甫庵太閤記には、永禄9年に秀吉が美濃国内で城主になったと記載があり、そのことと墨俣が結びついてできた逸話のようです。
風林火山という言葉は現代の創作
(出典 Wikipedia)
戦国時代最強といわれる武田軍で有名なのが風林火山の旗印です。
風林火山は「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」という孫子の一節を引用したもので、武田軍の進退を表現したものといわれています。
ところがこの旗印ですが、当時は風林火山と呼ばれていませんでした。孫子の一節からとったことから「孫子の旗」と呼ばれていたようです。
江戸時代の文献にも風林火山という言葉はないことから、風林火山という呼称は井上靖氏の小説から生まれたのではないかといわれています。
北条早雲は一度も北条早雲と名乗ったことがない
(出典 Wikipedia)
戦国時代の下剋上の代表的な存在として有名なのが、後北条氏の初代である北条早雲です。戦国時代は北条早雲が開いたとも、戦国時代の魁ともいわれる人物ですね。
ところがこの北条早雲は一度も北条早雲と名乗ったことはありませんでした。というのも「北条」という姓を用いたのは、息子の二代目の氏綱からだったのです。
北条早雲の当時の名乗りは伊勢宗瑞(いせのそうずい)です。宗瑞は出家してからの法名で、名前(いみな)は長氏でした。通称が新九郎で、早雲というのは庵号になります。
- 名字 伊勢
- 通称 新九郎
- 名前 長氏(盛時とも。諸説あり)
- 法名 宗瑞
- 庵号 早雲
まとめると上記のようになります。
呼び方としては伊勢宗瑞や伊勢新九郎、早雲庵宗瑞などが正しいことになり、北条早雲という呼び方は、あくまでも後世の歴史家が名付けたものになります。
筒井順慶は洞ヶ峠には行かなかった
(出典 Wikipedia)
戦国時代を由来とすることわざで「洞ヶ峠の順慶」があります。単に「洞ヶ峠」とか「洞ヶ峠を決め込む」などともいわれます。
要は、日和見をする、様子見をする、という意味なのですが、このことわざの由来は、筒井順慶の行動にありました。
明智光秀の与力だった筒井順慶は、本能寺の変のあと明智光秀に味方すべく、大和筒井城を後にします。決戦の地である山崎の南方にある洞ヶ峠まで進出しますが、そこで光秀にも秀吉にも味方をせず、傍観を決め込んだ、というのが洞ヶ峠の由来です。
ところが史実では筒井順慶は洞ヶ峠にまで進出することはありませんでした。実際に洞ヶ峠に布陣したのは明智光秀です。光秀は筒井順慶の支援を期待し、洞ヶ峠に布陣してそこで順慶の到着を待ちました。そして順慶が来ないことを悟ると、洞ヶ峠を後にして山崎に布陣したのです。
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斎藤道三は油を売っていない
(出典 Wikipedia)
油売り商人から一代で美濃の国主まで成り上がったといわれているのが斎藤道三です。蝮(マムシ)の道三、という異名でも有名ですね。
近年の調査の結果、斎藤道三の国盗りは一代ではなく、親子二代での国盗りだったことが分かってきました。
斎藤道三の親の名は松波庄五郎(一節には松波庄五郎や法蓮房)です。司馬遼太郎の国盗り物語を読んだことのある人ならピンとくると思います。以前はこの松波庄五郎は斎藤道三と同一人物だと思われていたのです。
松波庄五郎は斎藤道三の親に当たる人物で、油売りをしていたのはこの人物です。庄五郎は油売り商人を辞めて武士を志し、美濃の守護代である長井氏に士官して西村勘九郎と名乗ります。
親の代で油売り商人を辞めているのですから、息子の道三が油を売っている訳がないですね。
まとめ ー 史実ではなくても読みものとして楽しめる
歴史は変わる、とよく言われます。新しい資料の発見によって、今まで定説と思われていたものが覆されるのです。斎藤道三の親子二代の国盗りなどはその代表的な例ですね。
それでも私自身は司馬遼太郎氏の国盗り物語が大好きですし、秀吉の出世譚の一つである墨俣一夜城の話も気に入っています。
歴史は変わるものなので、ひょっとしたらあらたな資料が見つかって、実は墨俣一夜城が史実だったりするとおもしろいのでは、と考えてしまいます。
まあ、この辺りは歴史オタクの妄想的な楽しみということで(^-^)