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フィリップ・ペタン。全く異なる2つの評価を持つフランスの将軍

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フィリップ・ペタンというフランスの将軍をご存知でしょうか。

 

私自身は歴史オタクというよりは戦国オタクなので、世界史はそれほど詳しくはありません。それでもフィリップ・ペタンというフランスの将軍に興味があるのは、彼が英雄でもあり、売国奴とも呼ばれる全く異なる2つの評価を持っているからです。

 

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(出典 Wikipedia)

 

第一次世界大戦のヴェルダンの英雄

第一次世界大戦のとき、ドイツが猛攻を仕掛けたのが、フランスの北東部にあるヴェルダンでした。フランス軍の防衛を担う立場であった参謀総長のヨセフ・ジョフルは軍を動かす才能がなく、ただ突撃を叫ぶだけの人物であったといわれています。

 

フィリップ・ペタンは第一次世界大戦時はすでに58歳という高齢であり、退役間近の冴えない軍人でした。階級も大佐止まりで、第一次世界大戦が起こらなければ、そのまま歴史の中に埋もれていたかもしれません。

 

ところが、西部戦線が激化すると、参謀総長のヨセフ・ジョフルの指揮を見かねた参謀次長のエドアール・カステルノー将軍の進言もあり、ペタンがヴェルダンの司令官に任命されたのです。

 

縦深防御戦術を用いてドイツ軍の猛攻を防ぐ

フィリップ・ペタンがヴェルダンの戦いで用いたのが、縦深防御と呼ばれる戦術でした。

 

 

縦深防御とは、

  • 守備側が縦に深い陣地を構築する
  • 前線が破られれても第二、第三の戦線を用意する
  • 攻撃側の陣形が縦に長くなる
  • 守備側が攻撃側を包囲する

という戦術で、ペタンはこの戦術を用いてドイツ軍の猛攻を防ぎます。そしてついにはドイツ軍を撃退することに成功したのでした。

 

まったく役に立たなかった「マジノ線」

ヴェルダンの戦いで、フィリップ・ペタンが縦深防御のために活用したのが要塞でした。

 

「ヴェルダンの英雄」と呼ばれるようになったペタンは、陸軍の最高位である元帥に就任し、対ドイツに備えて強大な要塞の建設に乗り出します。それが「マジノ線」呼ばれるドイツ国境との間に建設された要塞群でした。

 

当時のフランス陸軍アンドレ・マジノの名前を冠した「マジノ線」は、ペタン元帥の元、多額の資金を投じて建設されます。

 

ところが、このマジノ線は実際のドイツ戦ではまったく役に立ちませんでした。

 

第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍はマジノ線を避けて、アルデンヌの森からフランスに侵攻します。マジノ線に頼り切っていたフランス軍は、満足な抵抗をすることもできず、ドイツ軍にパリまで進撃を許してしまいます。

 

ちなみに「マジノ線」という言葉は、現在のフランスでは「役に立たない」という意味の格言だそうです。

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担ぎ出されたヴェルダンの英雄

マジノ線を突破されても、フランスには英雄が存在しました。フィリップ・ペタン元帥です。国民の期待を背に、ペタン元帥は首相に就任します。ただ、すでに84歳だったペタンにはドイツ軍と戦う気力はなかったのかもしれません。ペタンはドイツに休戦を申し込み、国土の5分の3を割譲する独仏休戦協定を締結します。

 

かつてフランスを救った「ヴェルダンの英雄」は、フランスを売り渡した売国奴と呼ばれてしまうようになるのです。

 

戦後、ペタンは逮捕され、裁判で死罪を言い渡されます。ただ高齢だったこともあり、死刑は免除されて禁固刑になります。その後、ペタンが流刑地であるユー島で死去したのは95歳のときでした。

 

まとめ ー 全く異なる2つの評価を持つ将軍

フィリップ・ペタンの評価は様々です。売国奴という評価もある反面、フランス全土を焦土化することを防ぎ、フランスを救ったという見方もあります。

 

第二次大戦時にイギリスに亡命し、ドイツへの徹底抗戦を主張したシャルル・ド・ゴールは、フランスの英雄と呼ばれ、空港にもその名を残しています。

 

一方のペタンは、日本での知名度はド・ゴールよりも遥かに低く、ド・ゴールがペタンの部下だったこともあまり知られてないでしょう。

 

ペタンの評価は第一次世界大戦のあと「ヴェルダンの英雄」のまま引退していれば、大きく変わっていたと思います。でも、歴史にタラレバはないので、これも歴史オタクの妄想にしかならないのでしょうね。