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イケメン武将10選!美形伝説が残る戦国武将たち

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幕末であれば写真が残っている人物もいるのですが、戦国時代になると美形だったかどうかは資料に頼るしかありません。

 

ゲームに登場する戦国武将たちは、そのほとんどがイケメンに描かれていますが、それがユーザー向けであることは説明する必要もないでしょう。では、現実の武将は美形だったのでしょうか。

 

今回は様々な資料を基に、美形伝説のある戦国武将をピックアップしてみました。

 

 

美形伝説が伝わる戦国武将たち

織田信長

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(出典 Wikipedia)

織田信長をはじめ、織田氏一族は美形だったといわれています。信長の妹であるお市は戦国時代最高の美女といわれていますし、織田信長の実弟である織田秀孝は、一次資料として評価の高い「信長公記」で美男子だったとの記述があります。

 

信長自身の容姿については想像するしかありませんが、ルイス・フロイスが書いた「日本史」には信長の容姿を連想させるような記述があります。

  • 背は中くらい
  • ヒゲは薄い
  • 声がかん高い
  • 華奢な体型

信長の肖像画はWikipediaにも掲載されている長興寺の像が有名ですが、他には神戸市立博物館に所蔵されているものもあります。

www.google.com

鼻筋が通っていて、なかなか美形だと思うのですがいかがでしょうか。

 

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明智光秀

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(出典 Wikipedia)

明智光秀も美男子だったといわれています。

肖像画でもなかなかのハンサムですね。晩年は髪が薄かったようですが、若い頃は貴公子といっていい風貌の持ち主だったようです。

 

ルイス・フロイスの「日本史」に、光秀の子女は西洋の王侯貴族に劣らぬくらい美形だった、という記述があります。実際に光秀の娘である珠子(たまこ。細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ)は絶世の美女だったといわれています。

 

井伊直政

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(出典 Wikipedia)

戦国時代、衆道は武将の嗜みの一つでした。有名なところだと織田信長と森蘭丸(乱丸)の組み合わせでしょうか。

 

徳川家康はあまり衆道を好みませんでしたが、井伊直政とは衆道の関係だったといわれています。井伊直政があまりにも美男子だったために家康の性癖さえ捻じ曲げたのかもしれませんw

 

井伊直政は同僚の武将から夜這いを受けたとの逸話もあり、美男子だったことは間違いないようです。

 

肖像画については・・・コメントを控えさせていただきます(^_^;

 

松永久秀

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(出典 4gamer.net)

別名は松永弾正。

戦国時代の三大梟雄の一人に数えられ、戦国時代最悪の武将ともいわれる松永久秀ですが、美男子であったとの言い伝えが残っています。

 

元々は摂津国の土豪の出身ですが、美男子で教養があり、立ち居振る舞いが美しかったことから、三好家内で立身出世したといわれています。

 

ただ、松永久秀の悪行があまりにも凄かったため、ゲームなどに登場する久秀はどうしても悪人面になっています。

松永久秀は三好長慶に取り立てられて出世したのですが、その三好家を自分のものにするために数々の悪行を重ねています。

  • 三好長慶の跡継ぎの三好義興を暗殺(疑い)
  • 三好長慶の妻を側室に
  • 三好長慶の実弟の安宅冬康を讒言により誅殺させる
  • 三好長慶の実弟の十河一存を暗殺

さらには第13代将軍の足利義輝を暗殺し、奈良の大仏殿を焼き払い、信長には二度背き、最後には平蜘蛛の茶釜とともに爆死したという「梟雄」という言葉以外が当てはまらない武将です。

 

小早川隆景

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(出典 Wikipedia)

吉川元春と並ぶ毛利両川の一人、小早川隆景も美貌の持ち主だったといわれています。

 

「陰徳太平記」には「又四郎隆景は、容姿甚だ美なりしかば、義隆卿 男色の寵愛浅からずして」との記述があります。大内義隆は衆道を好んだといわれていますが、それを差し置いても、隆景の美貌が伝わってくるような記述ですね。

 

ただ「陰徳太平記」が書かれたのは1700年台で、隆景が死んでから100年以上経過しています。本当に隆景が美形だったかどうかは、判断が難しいところです。

 

高坂昌信(春日虎綱)

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(出典 コーエーテクモゲームズ)

武田四天王の一人、高坂昌信も美形伝説があります。

「甲陽軍鑑」には元々農民の出身だった春日源五郎、のちの高坂昌信が美童だったことから武田信玄の奥近習として召し抱えられたとの記述があります。

 

武田信玄は女性も衆道も嗜んだ人物ですが、高坂昌信との関係は深かったらしく、高坂昌信宛に浮気を詫びる手紙が現存しています。

 

肖像画の高坂昌信は面頬(めんぽう)をしているので、ゲームに登場する昌信も面頬をしているものが多いですね。

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長宗我部元親

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(出典 Wikipedia)

四国を統一した戦国大名の長宗我部元親は、子どもの頃「姫若子」と呼ばれていました。実はこれは女性のような美しさからそう呼ばれたのでありません。

 

色白で背が高く、読書ばかりしていたことから、軽んじる意味で付けられたあだ名だといわれています。

ところが戦場にでると大活躍したことから、家中でも認められ、またたく間に土佐を平定、最終的には四国統一まで成し遂げてしまいます。

 

長男の長宗我部信親も、背が180cm以上あり、色白でイケメンだったそうなので、親子で美形だったのかもしれませんね。

 

直江兼続

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(出典 戦国無双4)

直江状で有名な直江兼続は「名将言行録」や「常山紀談」に、背が高く弁舌が爽やかで容姿は並ぶものがない、という意味の記述があります。

 

上杉謙信の姉である仙桃院が、幼少の頃の直江兼続が美童だったのをみて、上杉景勝の近習に推薦したという逸話もあります。

 

「名将言行録」や「常山紀談」は江戸期に成立した書籍ということもあり、信憑性には少し疑問があるのですが、正義感の強くハンサムな義将、というイメージは直江兼続にピッタリではないでしょうか。

 

片倉重長

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(出典 戦国IXA)

伊達政宗の右腕といわれた片倉景綱の嫡男、片倉重長もイケメンだったといわれています。

 

父に劣らぬ才能の持ち主であり、父親と同じ小十郎という字(あざな)を持つことから鬼小十郎ともいわれました。大坂の陣では伊達軍の先鋒として真田幸村と激戦を繰り広げています。

 

重長はあまりにも美形だったため、関ヶ原の戦いで有名な小早川秀秋にストーカーのごとく付きまとわれたという逸話があります。

 

木村重成

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(出典 Wikipedia)

豊臣秀頼に仕えた木村重成もイケメン武将といっていいでしょう。

 

見た目も爽やかな好青年だったといわれていますが、木村重成の場合は何よりもその行動が印象的です。

 

木村重成は豊臣秀頼の使者として、徳川家康と会談したことがあります。会談の目的は家康から秀頼への誓詞を受け取るためだったのですが、受け取った時に誓詞の血判が薄い、といって満座の中、家康に突き返したのです。

 

周りにいた武将たちは家康が激怒するのではないかと固唾をのみましたが、家康は苦笑いして、年をとると血が薄くなって困る、と言いつつ誓詞に再度血判を押したといわれています。

 

木村重成の度胸の良さが分かるエピソードですね。

 

木村重成

(出典 信長の野望 ~俺たちの戦国~ 公式Twitter)

歴史ゲームの木村重成もかなりイケメンに描かれていますね。

 

まとめ ー 戦国時代の武将は中身もイケメン

木村重成や直江兼続はその容姿もさることながら、行動が何よりも爽やかでいいですね。快男児といっていいでしょう。

 

特に木村重成は瀕死部下を助けるために戦場に戻ったり、死を覚悟して兜に香を焚きしめておくなど、立ち居振る舞いがその評価につながっています。

 

上に挙げた以外では若いころの斎藤道三や宇喜多直家も美貌の持ち主だったといわれています。松永久秀もそうなのですが、実力でのし上がった武将は、自身の容姿さえも才能の一つとして利用したのでしょう。

 

他に明智光秀の娘である明智珠子(細川ガラシャ)と細川忠興の夫婦は、織田信長から美男美女の組み合わせだといわれた話が伝わっています。細川忠興もイケメンだったのかもしれませんね。

 

逆にイケメンと世間一般的に思われているのに、意外とそうでもない武将に真田幸村(信繁)や伊達政宗、前田慶次郎などがいますが、それを書くのは野暮というものでしょうか。