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食べ物に関するおもしろい話10選。お子様ランチを大人が食べてはいけない理由は?

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お子様ランチを大人が食べてはいけない理由は?

ぼたもちとおはぎの違いは?

京都のどら焼きは銅鑼の形ではなく筒型?

 

などなど、食べ物に関するおもしろい話を集めてみました。話のネタにでもしていただけると嬉しく思います。

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お子様ランチを大人が食べてはいけない理由とは?

お子様ランチが生まれたのは1930年です。東京の日本橋三越の食堂の主任だった安藤太郎が考案したのが始まりだといわれています。

 

子どもが喜ぶようなお椀の形のご飯に、コロッケや果物など、子どもが好きなメニューを組み合わせて提供しました。牛乳ビンが一本6銭の時代に30銭という安価で発売されたこともあって、爆発的に広がりました。

 

あまりの人気に各地のデパートがこぞってマネをしたそうなのですが、採算が良くないことから、大人の注文を禁止する食堂も少なからずあったそうです。

 

食べていけない理由は、子ども向けの採算が取れないメニューなので、大人の注文はなるべく遠慮してね、ということでした。

 

ぼたもちとおはぎの違いは?

小学生のときに国語の先生から、ぼたもちとおはぎの違いを教えてもらったことがあります。

 

結論を先に書くと、ぼたもちとおはぎは同じです。春に作るものをぼたもち、秋に作るものをおはぎと呼びます。ぼたもちは春に咲く牡丹から名付けられ、おはぎは秋の七草の一つであるハギから名付けられたそうです。

 

京都のどら焼きは銅鑼の形ではなく筒型

京都でもほとんどのどら焼きは、銅鑼の形を模した円盤状のどら焼き(銅鑼焼き)なのですが、筒型をしたどら焼きも存在します。

 

それが弘法大師を記念した縁日に三日間限定で発売される「どら焼」です。小麦粉の皮でこしあんを巻いて筒状の形にし、竹の皮で包んだお菓子です。

 

江戸時代の享保年間から作られ始めたのですが、作るのに手間暇がかかるため、300年以上に渡って毎月に3日間しか発売されないそうです。

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お好み焼きの発祥の地は大阪ではなく東京

関西人としてはちょっと悔しいのですが、お好み焼きの発祥の地は大阪ではなく東京です。お好み焼きの元となったのは、千利休が考案したといわれる麩の焼きです。

 

明治から大正にかけてどんどん焼きという一種の遊戯料理が生まれ、さらに1923年の関東大震災の後から、手軽に食べられるお好み焼きが東京で広がりました。昭和30年代になると東京には500から600件のお好み焼き屋さんがあったといわれています。

 

その後、お好み焼きは大阪商人の目にとまり、東京から大阪にお好み焼きが伝わりました。「好きなものを焼く」という料理が、大阪の風土に合ったこともあり、大阪で大流行しました。そのためお好み焼きといえば、大阪が本場といわれるようになったそうです。

 

※お好み焼きのルーツは諸説あり、関西発祥の一銭洋食が元になったという説もあります。

 

うなぎの蒲焼の関西での呼び名は「まむし」

私は関西在住なので、違和感はまったくないのですが、関西ではうなぎの蒲焼のことを「まむし」といいます。

 

新世界にあるまむしのお店が美味しいから紹介しようか?

 

 

と、東京の友人に話したところ、全力で拒否されたので、どうしたのかと不思議に思ったことがありました。そのときは「まむし」が関西だけの呼び方だとは知りませんでした・・・

 

うなぎの蒲焼が「まむし」と呼ばれるようになった理由は諸説あるのですが、ご飯にうなぎをまぶすところから来ているという説があります。ひつまぶしと同じ語源かもしれませんね。

 

天津飯や天津麺は中国の天津には存在しない

ご飯にカニ玉を乗せて甘酢あんをかけた天津飯や、その麺料理版である天津麺は日本で創作された料理です。中国の天津市には存在しません。創作された年代や考案者は明確になっていないようです。

 

現在の中国の天津市には、天津飯を出す料理店もいくつか存在します。ただこれは、ほとんどが日本人観光客のリクエストに応じて、メニューに加えたり作るようになったそうです。元々、天津飯や天津麺は中国の天津市とは関係がない料理なのです。

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ミルクセーキは日本で生まれた清涼飲料

ミルクセーキもしくはミルクシェイクと呼ばれる清涼飲料は、日本で創作された飲み物です。milk shakeという英語がありますが、これはあとから当てられた言葉のようです。

 

大正時代に牛乳、卵黄、砂糖、バニラなどを入れて撹拌し、砕いた氷を入れて提供されたのが始まりです。残念ながら、考案者が誰なのは分かっていないようです。

 

ようかんは元々は羊のあんかけ料理だった

代表的な和菓子のひとつであるようかんは、今でこそお菓子ですが、昔は羊肉をつかったあんかけ料理でした。

 

発祥は中国で、鎌倉時代に日本に伝わったといわれています。当時は羊の煮こごり、もしくは加熱した汁物料理だったそうです。

 

仏教文化が根付いていた当時の日本では、動物の殺生が忌まれたことから、小豆を羊の肝に見立てて代用するようになり、そこから今のお菓子に繋がるようかんに変化していたといわれています。

 

羊羹(ようかん)という言葉にはその名残りが残っていますね。

 

インスタントラーメン、インスタントコーヒーは日本人の発明

インスタントラーメンは、1958年に日清食品の創業者である安藤百福氏が開発した、チキンラーメンが最初の製品だといわれています。当時は1袋35円でした。

 

インスタントコーヒーも実は日本人の発明です。1899年にシカゴ在住の加藤サリトル博士が開発しました。1909年にはアメリカで初のインスタントコーヒーの企業が誕生し、第二次大戦中の軍用飲料として広がりました。

 

第二次大戦でアメリカ軍が飲料として用いたことから、アメリカ人の発明だと思われている方もおられるかもしれませんが、開発者は日本人だったりします。ちなみにレトルト食品は1950年代にアメリカで発明されたといわれています。

 

ウーロン茶を日本に伝えたのは中国ではなく台湾

ウーロン茶のCMで中国福建省の茶葉が取り上げられたこともあり、ウーロン茶は中国から伝わったと考えられる人も多いと思いますが、正しくは台湾から日本に伝わりました。

 

緑茶(未発酵)と紅茶(発酵)の中間である半発酵であるウーロン茶は、1887年に台湾にから伝わりました。中央茶業組合が台湾に派遣したスタッフが、日本に製法を持ち帰ったといわれています。

 

その後、1906年に東京銀座に台湾系の喫茶店が誕生し、初めてウーロン茶を提供しました。サントリーが缶入りウーロン茶を発売し、ウーロン茶を始めとした健康茶ブームをまき起こすのは、それから70年以上もあとの1982年のことでした。

 

まとめ ー たべもの系の雑学もおもしろい

食べ物の発祥や関東と関西での違いなど、おもしろ話をまとめてみました。

 

個人的には関西在住ということもあり、お好み焼きの発祥が東京だったことにびっくりしました。なんとなく関西のソウルフードのように考えていたのですが(^^;