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明智光秀の子孫について調べてみた。クリス・ペプラー氏と土岐氏、明智憲三郎氏について

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戦国武将の子孫に興味があります。以前に石田三成について調べてみたのですが、今回は2020年の大河ドラマの主人公にもなった明智光秀について調べてみました。

 

明智光秀の男子で存在が確実視されているのは、嫡男である十五郎光慶だけです。光慶は山崎の戦いで明智光秀が破れたあと、坂本城落城のときに明智一族とともに自害したといわれています(諸説あり)。このときに光慶は13歳(14歳説も)だったので子どもは居なかったでしょう。

 

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明智光秀には他に庶子が居たという説もあります。そして現代で明智光秀の子孫と呼ばれている方も居られます。まずはこの子孫の方々について調べてみました。

 

 

明智光秀の子孫?、クリス・ペプラー氏

クリス・ペプラー氏は祖母が土岐氏

明智光秀の子孫として有名なのがクリス・ペプラー氏です。2016年にテレビ番組の企画で、明智光秀の直系の子孫だということが判明したそうです。

 

 

クリス・ペプラー氏自身はドイツ系アメリカ人と日本人のハーフですが、母方の祖母から「あなたは明智光秀の末裔なのよ」と幼少のころにいわれていたそうです。この祖母の苗字が「土岐」だったそうなので、明智氏と関係の深い土岐氏の一族の子孫ですね。

 

この祖母の方は土岐頼勝の子孫にあたられるそうです。では、土岐頼勝と明智光秀の関係はどうなっているのでしょうか。

 

土岐氏と明智氏の関係

土岐頼勝は土岐頼次の嫡男とされています。土岐頼次の父親が斎藤道三によって岐阜を追われたことで有名な土岐氏の第十三代当主土岐頼芸ですね。

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図にしてみるまでもないのですが、土岐頼芸の孫がクリス・ペプラー氏の先祖である土岐頼勝になります。では、この土岐頼勝と明智光秀の関係を図にしてみます。

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土岐氏から分家して明智氏を名乗ったのは土岐(明智)頼重だといわれています。頼重は初代美濃守護である土岐頼貞の七男である土岐頼基の実子ですね。そこから数えて八代目に明智光秀が出ています。

 

前述したようにクリス・ペプラー氏の祖先である土岐頼勝は、最後の美濃守護である土岐頼芸の孫になります。こうしてみるとクリス・ペプラー氏は明智氏の末裔ではありません。

 

ただ明智氏の本家が土岐氏になるので、明智氏の本家の土岐氏の末裔であることは間違いないようです。

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明智光秀の子「於寉丸」の子孫、明智憲三郎氏

明智光秀の子どもに於寉丸はいた?

もうひとりの明智光秀の子孫である明智憲三郎氏は、本能寺の変について解説した書籍の著者として有名ですね。私も楽しく読ませていただきました。

 

 

さて、その明智憲三郎氏ですが明智光秀の子である於寉丸(おづるまる)の子孫だそうです。明智光秀の実子で存在が確認されているのは冒頭に書いたように十五郎光慶だけです。

 

ただそれ以外に庶子がいたという説もあります。

明智軍記には、

  • 長男 明智光慶
  • 次男 明智十次郎(光泰?)
  • 三男 明智乙寿丸

の三人の男児がいたという記述がありますが、この中に於寉丸の名はありません。

 

明智光秀に側室は居たのか?

明智於寉丸は他の側室の子だったのでしょうか。明智光秀の正室は妻木煕子ですが、側室が居たのかどうかは明確には分かっていません。明智光秀は愛妻家で側室は持たなかったという説と複数居たという説が存在します。

 

仮に側室が居たとすると、

  • 山岸光信の娘
  • 喜多村保光の娘
  • 原仙仁の娘

などが詳細が不明ながらも、説としては考えられています。於寉丸も庶子の一人なのかもしれませんが、残念ながら明智光秀の男系の子孫は不明点が多く、定説にはなっていないようです。

 

南国梵桂 明智光秀の実子といわれる人物

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(出典 Wikipedia)

明智光秀の唯一の肖像画がある本徳寺を開基したのは、南国梵桂という臨済宗の僧です。この南国梵桂は明智光秀の実子という説があります。

 

明智光秀の嫡男である明智光慶は、坂本城から逃れて京都妙心寺の住職玄琳になったという説もあります。妙心寺には明智風呂という名前の蒸し風呂があったり、明智系図という家系図も存在します。

 

南国梵桂は明智光慶であったのかはどうかは分かりませんが、本徳寺が全国で唯一の明智光秀の肖像画を所有していることを考えると、明智氏と深い関係があったことは確かなようです。

 

まとめ ー 明智氏は全国で1,200人くらい

苗字で調べると日本全国に明智姓を持つ方は1,200人くらいおられるようです。もちろん全員が明智光秀の子孫という訳ではないでしょうし、姓を変えた方も多くおられるでしょう。

 

斎藤道三の子孫の方は道三の悪名を嫌って、姓を斎藤から変えたという話もあります。明智光秀も反逆者のイメージが強いので、子孫の方で姓を変えられた方も多いのかもしれません。

 

明智光秀の子孫はひょっとしたら、今は違う姓で現代まで続いているのかもしれませんね。

 

さて、今回は明智光秀の男系の子孫について調べてみましたが、次回は女系の子孫について調べてみることにします。